2011年GW・帰省記(震災記)

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4/30〜5/3にかけて実家に帰省した。
その際に実家の周辺などを見て回ったのでその記録を残すことにした。
プライバシーのためにW駅やH駅と伏せてはいるが、おおよそ見当は付くと思われる。

4/30は、東北本線で実家まで向かうことにした。

黒磯から先しばらくのあいだ、先頭車両の運転席には運転手のほかに緊急時の対応のために3人が乗り込んでいた。
電車も途中の区間で徐行運転したりしていた。
以前東北本線で帰省した際に単線区間かと思ったところは、どうやらかなり離れた場所で反対側が走っているようだった。

電車で移動中、福島県に入るころから屋根にブルーシートがかぶされて土嚢で抑えている風景が見られるようになる。
福島の中心部へ行くほどそのような家屋が多くみられるようになる。

途中、郡山や福島で途中下車をしたのだが、S-PALがここにもあったのか。

夕方には実家にたどりつき、この日は終了。

実家の周辺では浸水の被害はあったもののほぼ無事ではあったが、自転車で数分も走れば景色は一変した。
それ以外のところも自動車で見て回ったが、自動車では写真を撮っている余裕がないため断念。
実家に住んでいた頃や帰省した際のドライブコースも見て回ったが、こちらも景色は全く違っていて知らない道を行っているような感覚になり道に迷いそうになる。

1日の午前中、国道6号線を南に向かってみる。
途中、海側に向かう道には検問が敷いてあった。
見物客が作業の邪魔になるとのことで行われた処置だ。
海から距離があると思われるのだが、6号線のところまで津波が来た痕跡があちこちに見受けられた。
また、道が崩れたり凹凸があったりと地震の被害もすごい(以下のリンク参照)。
http://carlifenavi.com/article/detail/154388
6号線で新地まで向かい、Uターンして実家に戻ろうとしたが渋滞が激しかった。

午後に改めて自転車で周辺を見て回ることにして写真を撮ることにする。

2日は午前中に再び自転車で周辺を見て回ることにする。
H駅まで自転車で移動してみる。
線路沿いを移動しているのだが、海から距離があるはずなのに潮の香りがする。
H駅は建物自体は無事のようだが、ホームや構内の線路上に流木が積み重なっている。
駅の近くに店があって、営業しているようだったので飲み物を買う。
とはいうものの品ぞろえは乏しく、周りの家屋も一見無事のようだが浸水の被害が見てとれた。

午後から車で名取や仙台方面に向かってみる。
ハードオフ多賀城店によく行ったりしていたので向かってみる。
六丁の目交差点から多賀城方面に走らせていると初めのうちは何ともないが、しばらく走らせていくと瓦礫などが散乱し始めて段々と被害が大きくなっていくのが見えてくる。
ハードオフ多賀城店についてみると、店舗に自動車が突き刺さっていた(以下のリンク参照)。
http://kazunori310.jp/2011/04/28/000830/
もうしばらく行くとドライブした際によく寄っていた書店があるのだが、そちらまでは行かなかった。
その後、仙台港付近を回ってみるがほとんど瓦礫となっている。
この周辺では信号も止まっていたので、ところどころで警察が交通整理をしていた。
普段だったら県道10号線で岩沼方面まで向かい実家に帰るのだが、閖上大橋が通行止めとなっているため、途中で国道4号バイパスに抜けることにした。
途中まで県道10号を走っていたのだが、どうにも石油のにおいがしていた。
この日は風も強かったのだが、波で流されてきた砂が乾いて砂嵐のようになっていた。

この日は名取市での渋滞が激しく、4号バイパスの上りも下りも名取市役所へ通じる交差点付近が渋滞の起点になっていた模様。
閖上方面も見ておきたかったが渋滞が激しく断念。
名取についてもしばらく住んでいたところなので様子を見に行きたかったところだ。

3日の午後に東京に戻るため、電車で移動。
途中、太子堂駅〜長町駅間の再開発地区に仮設住宅が建てられているのを見る。
この付近は整備されたものの土地が売れ残って広々としていた場所だった(下記リンク参照)。
http://sendaipics.fc2web.com/wadai/report151.html
売れ残った土地とはいえ、近くには大型店舗もあり駅にも近いので悪くはない場所だとは思う。

仙台駅に着いて、職場への土産物を買い新幹線ホームに向かう。
震災当時は天井が落下していたが、現在ではすべて引っぺがした模様。

以下は実家周辺を自転車で回った際に撮った写真。

仙台駅新幹線ホーム(11/05/03撮影)

東京に戻る際に撮影。
地震当時の新幹線ホームについては以下のリンクを参照
http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/article/building/news/20110318/546509/?SS=imgview&FD=-1398406052
http://www.yomiuri.co.jp/photonews/article.htm?ge=614&id=105525
新幹線ホームの天井。
地震のため天井が落下。
現在は天井が全部ひっぺがされていた。
同じく新幹線ホームの天井
同じく新幹線ホームの天井

W駅ホーム(11/04/30撮影)

帰省して到着時に撮影。
W駅の仮設ホーム。
本来のホームから線路の上にかぶさるように作られている。
電車はこの駅で折り返し運転していて、この先には行かない。
線路や信号機の構成の関係上、このようになったらしい。
仮設ホームで降車する乗客たち
仮設ホーム
仮設ホームと電車

H駅(11/05/01撮影)

駅自体は原型をとどめていたが、ホームや線路に流木が散乱している。
また、途中の線路も津波の影響で踏切が壊れていたり、敷石が流されたりしている(下記W駅〜H駅間参照)。
W駅の一つ先のH駅。
ホームに流木が取り残されている。
線路の上にがれきの山
ホームのそばにがれきの山がある

W駅〜H駅間(11/05/01撮影)

実家からH駅へ自転車で移動中に撮影。
海から1.5〜2Km近くあるが、潮の香りがかすかに残っている。
線路のど真ん中にテレビと椅子
線路上の流木など
破壊された踏切
敷石が流されて線路が浮いている。
海水をかぶり震災後使われていないこともあり錆びついてもいる。

W町仮設住宅・被災した自動車の集積所(11/05/01〜03撮影)

実家からほど近い場所にあった。
話によると、自動車については比較的原型をとどめたもの集められているようだ。
仮設住宅も建設中。
被災車両の集積所と、その奥に仮設住宅の建設現場
集められた被災車両と、その奥にテント
集められた被災車両
被災車両とテント
仮設住宅の建設現場
同じく仮設住宅
同じく仮設住宅
テント

W町東部・南部(11/05/01〜02撮影)

1日に自転車で東部へ向かい撮影。
2日にH駅から実家に戻る途中で撮影。
実家の周辺は浸水はあったものの概ね無事なところが多いが、自転車で少し走らせただけで景色は一変する。
津波の被害の大きさに驚く。
実家から約1.5Km〜2Km東に行ったところ。
自動車道路の手前に津波で流された自動車
田畑の中に散乱する自動車
奥に家が見えているが、軒並み津波の被害にあっている
自動車を押しつぶしている家
農道の両脇に被災した自動車。
これでも当時に比べたら片付いた方らしい。
同じく自動車
A川の河口付近にかかる大橋の手前。
歩道が崩落してマンホールが付きだしている。
上記マンドールの付近を右に向いたところ
上記マンホールの少し先の手すりのある付近から右手にある家。
家の上に家が乗り上げている。
左手億の建物は中身はすべて流された模様で何もない。
少し上って堤防を望んだところ。
堤防に沿って土嚢が並べられている。
手前はブルーシートがかぶされてある。
左手奥にはすぐ海が見える。
橋の上に上ったところ。
津波によって手すりが破壊されている。
水面から数メートル以上あるが、この上を津波が乗り越えていった。
橋の上から先ほどの家を見たところ
田んぼに屋根の一部が取り残されている。
奥には自動車
ところ変わって南の方へ2〜3Km行ったところ。
津波によって斜めった電信柱
いろいろと散らかっている田んぼ。
ちなみに田んぼにあるのはおそらく海水。
海水に浸かった田んぼと瓦礫
田んぼに取り残された流木の山

実家(11/05/02撮影)
実家のあるところは、田んぼに盛り土をしてその上の建てられている。
田んぼや道は完全に水没した。
多少水位は下がったものの数日間は周辺は水浸しだったとのこと。
海水が引いたあとに魚が大量に取り残されていたらしい
実家の入口のところ。
線で引いたところまで海水が来たらしい。
あとわずか水位が高かっただけで床下浸水や床上浸水していた。

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