何故にそんな駄作アニメになってしまったの(T-T)
らんま1/2
○初期シリーズ
らんま1/2のアニメ版は土曜夜7:30から放映された初期シリーズと、その後に作られた熱闘編の2シリーズある。
初期シリーズは概ね原作にそったつくりをしていたが、放映当時、野球の放映のためらんま1/2が放映されなかったことが多かった。
そのためかどうか定かではないが、視聴率が芳しくなかったとか・・・
その結果、次回予告まで流しておきながら放映予定であったスケート編を飛ばし、オリジナル、シャンプー編、そして最終回となった。
スケート編はある事件があって、そのせいで飛ばされることになったようだ。
だが、この時点でストーリーの矛盾が1つ生じた。
シャンプー編にあったあかねの回想シーンの中に、飛ばされたはずのスケート編の1シーンが含まれているのである。
この辺は良く知られている話である。
結局、シャンプー編が終了した後に、総集編のような形を取り最終回を迎えるのである。
なお、飛ばされたスケート編は後の熱闘編によって放映されるわけだが、放映順番が前後したせいで、エピソード自体は問題なくても、全話通してみた場合不自然さがある。
○熱闘編
初期シリーズが終わった後、続行を望む声が多かったとかどうとかで作られた続編。
だが熱闘編の前半は原作では3〜4話かけて作られたエピソードを無理矢理1話放映の形で作られたために、妙に中身が薄く、肝心なところが飛ばされてストーリーに矛盾が大量に発生することになる。
また、原作にには登場していた五寸釘光はアニメシリーズでは後半からの登場となり、変わりにアニメシリーズでは九能家の御庭番・佐助という名のオリジナルキャラが登場することになる。
が、これもストーリー的に不自然さを生む結果になる。
以下に熱闘編に生じたストーリーの矛盾や不自然さを幾つか挙げてみる。
◆乱馬の変身体質
総身猫舌のツボを突かれお湯をかぶる事が出来なくなり、女のまんまになってしまった乱馬であるが、東風先生が江戸っ子じいさんのツボを突いて一時的にお湯をかぶり男に戻ることが出来た。
だが、
→原作ではムースとの戦いの最中
→アニメではムースとの戦いの前
結果、
→原作ではクラスメイト達には水をかぶると女に、お湯をかぶると男に戻る体質を知っている
→アニメでは変身体質を知られていない
この小さな違いが後々大きく影響することになる。
だが、アニメ版においてもムースの最中に水をかぶって女の姿になっているところを見られているはずだが、その後のストーリーではことごとく無視されている。
この話のせいで原作と同じエピソードをやってもこの小さな矛盾が足かせになっている例がいくつかある。
そのうちの一つ、右京を慕ってやってきた変装・女装趣味の紅つばさとのお好み焼き販売競争で、
→原作では乱馬のお好み焼きが売れないのは「乱馬の正体を知らないのは九能だけ」と説明されている
→アニメ版では理由も無く乱馬のお好み焼きが一枚も売れていない
小さな違いがストーリーに不自然さをかもし出すことになる。
◆八宝斎とコロン(シャンプーの曾祖母)
原作ではホレ薬騒動編で、八宝斎とコロンとが女傑族の村で会ったことが語られる。と同時にシャンプーの曾祖母の名前がコロンであることもかたられる。
が、アニメにおいてはアニメの終盤まで語られることはない。
それまでに八宝斎とコロンはお互いに出会ったことに気付かずにいたことになっている。
にもかかわらず、その後のオリジナルストーリーの缶蹴りのエピソードで八宝斎、コロン他2名は10年ごとに仲間内での缶蹴り大会を行っていることになっている。
10年ごとに会っているのにお互い気付かないとはどういうことなのか。
◆五寸釘光と佐助
原作では初めの頃の猫拳編から登場していた五寸釘光であるが、アニメでは佐助にその出番を奪われてしまう。
佐助は佐助でオリジナルストーリーでは活躍している。
がしかし、原作をアニメ化する上でどうしても五寸釘光でなければならないストーリーも出てくる。
結局、アニメの終盤になってから転校生という形でアニメ版に登場し、その後に作られたオリジナルストーリーではそれまで佐助に出番が奪われた分なかなかいい役どころをもらえたりもする。
ここでは、五寸釘光を佐助に変えたことに意味があったのかどうかを問いたい。
五寸釘を出した上で佐助というオリジナルキャラを出すのであれば問題はなかったのだろうが、何故五寸釘を外してしまったのだろう。
アニメ版では五寸釘は猫拳編以降たいした出番は無いだろうと踏んでいたが、その後もちょくちょく五寸釘が出てきて、しかも五寸釘でなければストーリーにならないので苦肉の策で転校生という形での登場となったのだろう。
そして、今まで一切出してこなかった五寸釘を出してしまい、「何で今更」と原作ファンから文句が来るのを回避するために五寸釘でオリジナルストーリーを作ったのではなかろうか。
◆乱馬の許婚
原作では、あかねの他に右京が許婚になっている。
シャンプーは男の乱馬に敗れたのを期に押しかけてくるように、九能小太刀は勘違い的に乱馬を慕っている。
と、原作では終始一貫して乱馬には許婚は2人しかいない。
がアニメ版は無数にいることになっている。
あの早乙女玄馬の性格では、原作版でもたしかに不思議ではない。
しかし、乱馬の許婚が沢山いるいるという印象をアニメ版で植え付けてしまっているのである。
◆九能一家
ハワイかぶれの風林間高校校長は九能帯刀・小太刀兄妹の父親でもある。
原作ではこの校長と九能帯刀が親子であることはこの一連のエピソード(校則御免のヤシの実編)でかかれている。
が、アニメ版ではその後しばらく経ってからかかれている。
これらが親子だと言うことは原作においてはさほど重要な要素ではないが、逆にアニメのオリジナルエピソードにはその変態一家がいかんなく発揮されている(爆)
総括
先にも書いたように熱闘編前半では、原作が3〜4話で1エピソードのところを無理矢理30分(正味20分前後)に押し詰めた結果、ストーリーの中身が薄くなりがちである。
後半からは無理に縮めようとせずアニメ版も2〜3話で1エピソード、そしてオリジナルが大半を占めるようになる。
また全体を通して、物語の前半にあるべき事項と後半にあるべき事項が逆になっていることも多い。
このため、1話1話見ただけでは問題なくとも、全体的に見るとな不自然さや矛盾が多くなってくる。
乱馬の変身体質、八宝斎とコロン、九能一家の共通して言えるのが、原作では早々に語られていることが、アニメでは無駄に引っ張って後半まで持ってきたこと。
それによってストーリーに無理が出ていること。
当時のスタッフは、何でもかんでも後半に引っ張れば面白くなるとでも思ったのだろうか。
私がこの作品に出会ったのが中学生の頃。
アニメから入っていった作品ではあるが、途中打ち切られ、その後再開されたが内容の薄さや不自然さからアニメはさほど真剣に見なくなった。
(私が地方に住んでいたことも有り、熱闘編の放映時間が日曜早朝になったり、平日夕方になったり、途中から放映されなくなったと思ったら突然再開していたりとちょくちょく変更になっていたこともあったのだが・・・)
結果、原作は好きであったがアニメについては途中からどうでも良くなっていったのである。
アニメ版はそれほど駄作というほどのほどでもないと思うが、不満が多いのも事実である。
原作が好きであった分、実に残念である。
戻る